【雑記】ゲームに飽きた時は
書き終わって読み直したけど、特に理屈もない自己満足エントリになってしまった。
私は物心ついた時からゲームに触れて以来ずっといろんなゲームをプレイしていますが、
本来の自分は飽きっぽい性格もあって、結構すぐ飽きます。
ゲーム自体に飽きることもあります。
(何やっても面白くないとか)
私としてはゲームが無ければここまで生きてきてなかったと思うので「ゲームに飽きた!?生きている意味なくね?」とよく思います。
だってそれ以外に生きていようと思えるほど楽しい事いまだに見つけられていないんです…。当然ですね。
「ゲームが面白くなくなった、昔のゲームは良かった」というルートと、
「自分は大人になったから、ゲームを卒業したんだ」というルートをよく聞きます。
ネットとかでもそういう話を見ますし、
学生時代ゲーム結構やっていた人が、「いやー最近ゲームやらなくなったなー(笑)」なんていうことも、私だけでなく他の方もいらっしゃるかと思います。
この二つのルート、実際そうかもしれませんが、私としては、
「自分自身が『今』ゲームに対して魅力に感じていないだけ」だと思っています。
昔も今もゲームは面白いはずです。面白くなければ、衰退していますが、スマホゲーもありますし、コンシューマゲームもありますし、PCゲーもあります。
やろうと思えばいくらでもゲームはあるのです。
(昔に比べたらものすごい数のゲームがありますね)
ただ、そのゲームが自分に合ったゲームでないこともあります。
アクション好きな人がノベルゲーを好きになるかと言われると難しいでしょう。
(もちろん好きになる場合もあります)
コンシューマ機で遊んでいた人間が、スマホのソシャゲに嵌るかどうかは分かりません。
昔はゲームといえばファミコンから、PCエンジンやらPSやら色々と新しいものが沢山出ていて、「新しいという知的刺激」が沢山ありましたが、今やそれも当たり前の時代となりました。
個人でコンシューマ機にゲーム出せる時代ですからね。ハードより中身で勝負!という形がより色濃くなっていると個人的に感じています。(昔もソフトは色々なものがありましたが、ハードやジャンルの「新しさ」の方が強かったのかなと思っています)
好みの多様化というのは、「自分に対して提供されたものとは限らない可能性が高くなる」ことを意味します。
物を買うと、「これは私のために作られたものだ」と思いやすくなります。
だから、買った後思っていたのと違うと、裏切られた気分になります。
ですが、売られている商品は必ずしも自分が求めた要素が入っているとは限りません。
すると、だんだん求めるモノのジャンルそのものについて興味が薄れます。
「私は○○というジャンルに飽きてしまった」となるのです。
実際、私も子供のころに比べたらゲーム対する熱量は少なくなっていると思います。
新作ゲームが出れば土日をつぶしてのめり込んだり(今は体力的につらい)
ゲームの攻略本何週もしたり(今はWikiで事足りてしまう)
今ではとてもできないようなことをたくさんしていた気がします。
で。
私は定期的にゲームには飽きますが、先述した、「今は魅力的に感じないだけ」と思うようにしました。
「昔のゲームは良かった」と思うのはそののめり込んでいた時代が非常に楽しかったからだと思います。私と同じように、環境が変わってゲームに避ける時間が少なくなったり、ゲームが多様化して、あまり好みに刺さらなくなりやすくなったりもしているからだと思います。もちろん、だからと言って今のゲームが面白くない理由にはなりませんが。
「ゲームを卒業した」というのは、ゲームよりも魅力的に感じるモノが見つかったからだと思います。それは素晴らしいことです。(もちろんだからゲームが幼稚なものであるというのは間違いですが)
なので、ゲームに飽きた時は、とりあえずゲームを置いておいて自分がしたいことをしましょう。ゲームを捨てるわけではありません。ちょっとお休みするのです。
しばらくそれをやって、面白そうなゲームが出たら、あまり期待せずにちょっとやってみましょう。リハビリのようですね。
最近、ゲームのモチベーションが低下気味(よくある)で、更になにするにも億劫になってきた(よくある)ので、とりあえずの言い訳エントリです。
好きだからと言って、ずっと好きでいるのも難しいものですね。
ちなみに今はゆるーくForagerに嵌っています。
アクションスローライフアドベンチャーゲーム…でしょうか。
私のようにゲーム内でもモノをため込むことに快楽を感じる方はおすすめのゲームです。
Steamで出来ますが、Nintendo Switchでも発売予定だそうですので、お楽しみに。
レビューエントリ書きたいんですが、スクショとか動画とか取り忘れてしまっているので、書くかどうか怪しい…汗